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たからもの物語 〜The Hollywood Baby Model Story 〜
    ハリウッド・赤ちゃんモデル・ストーリー

【 仕事歴ダイジェスト ・ 子供をモデルにしたい親の会のご案内 ・ 質問掲示板など 】
    

●●●1999年6月4日、私は遅ればせながら「母」になりました。 <しっかり○高でねぇ〜〜(^0^;)
 そう、そんな私の「たからもの」は、娘のJ。夫のRがテレビのCMやポスターのモデルなどを(サラリーマンの仕事のかたわらで)やっている関係から、親 バカ丸出しの私達は、娘が生後8か月の時にロスの大手モデル・エージェンシーにコンタクトを取り、登録されることに成功。彼女の赤ちゃんモ デル、ベビーモデルの道が始まった・・・。
 と思ったら、娘は、アッという間にbaby GAP の仕事で、世界デビューしちゃいました(@@) <嬉しい誤算!

 ここでは、プロモデル(?)の娘の成長ぶりと、ハリウッドの Baby model の世界、そして「母」なる私の胸のうちなどを記していきたいと思ます。

◆◆◆そして、2004年8月25日、バリバリの○高で(爆)予定より10日 早く、元気な男の子、Gを出産。私の「たからもの」は、2つとなりました。
 Gはラッキーにも、私の妊娠中からJのエージェントに「モデル登録」を勧められ、生後一ヶ月で、エージェンシー登録の運びとなりました。 姉のJに続いて、弟のGが、果たしてモデルとして活動できるのかは、まだ未知数ですが、ここに一緒に綴っていきたいと思います。



▼JとGのデータ▼
J:1999年6月4日午前0時8分、ロスアンゼルス、Ciders-Sinai Medical Center 病院で生まれる。
誕生時の体重3362g、身長51cm。


G:2004年8月25日午後9時13分、ロスアンゼルス、Ciders-Sinai Medical Center 病院で生まれる。
誕生時の体重3289g、身長48cm。



過去のたからもの物語
 [1] デビューまで
 [2] 初仕事・Baby GAP
 [3] ディズニー
 [4] TARGET店舗内パネル
 [5] Disney Catalog
[6] 暇だった夏&目撃談続発の初秋
[7] 世界デビュー&テレビCM初仕事
[8] ビデオカバー&保険会社 Blue Cross
[9] Macy*s の広告
[10] CM、ご指名(オーディションなし)のプリント仕事など
[11] Mervyn's 広告
[12] ご指名続きの ディズニーカタログ
[13] 増えてきたCMのオーディション
[14] 有名デパート Nordstrom のカタログ
[15] JC Penny デパート新聞全面広告
[16] 遂に!テレビCM・主役ゲット
[17] G・初のオーディション&J・初のファッション・ショー
[18] CM放送開始、JとG、オーディションが続く
[19] J・松嶋菜々子さんと共演、日本向けキリンの生茶CM
[20] G・写真の更新、Jはコンポージット完成
[21] Jは GE のCM主演、G・初稼ぎ
[22] FIDM ファッション・ショー




2006年3月末
 27日、ケロッグの Rice Krispie の CMオーディションが来た。時間は2:20pmとのこと。「もうちょっと遅い時間(=学校が終わってから)にしてもらえない?」と事務所に聞くが、「すご く 限られた人数だけのオーディションだから、無理」との返事。じゃ、しょうがないかと、J、学校を早退。お仕事で学校を早退って、初めてでした。

 29日には、近所のスタジオで、Disney Store のカタログ用オーディションがありました。近所だったので、連れて行く分には楽でしたが、仕事は来ませんでした。

4月
 3日 先日受けたケロッグのCM、コールバックが来ました(^^) そして、数日後には、仕事ゲット!の連絡。

 4/8 日本語の補習校、あさひ学園の入学式がありました。日本の小学校と同じカリキュラムを、週に一度の土曜日の授業のみで消化するという学校です。 宿 題が多くて、親が大変なので有名。娘と一緒に、頑張りましょう!
 4月の春休み中、=今回のケロッグの仕事を機に、全米俳優組合に 登録しないことには、今後の仕事が出来なくなるとのことで、ハリウッドに登録へ。その 後はケロッグの CMの衣装合わせ@ハリウッド 4:30pm。
 =私が通訳仕事で出動@アカデミー協会、=ケロッグ撮影9am、Old Navy オーディション@3時半(ケロッグの撮影のあと、はしごで行きました)、= 私の通訳仕事@UCLA、終わってから午後には、子供たち二人が、 Children's Place と言うブランドのオーディション。金=映画の試写会、土=MiG(Jと私が大ファンの ロッカー )のコンサート<唯一の春休みらしい、遊びイベント 

 と、娘の春休みは、怒濤の「労働週間」でした。 ま、私の通訳仕事も2回、あったし・・・ね。

 ゲットした仕事、ケロッグのCMは、白人、黒人、アジア人、そして混血(ラテン系)の母/子の組、4セット撮影され、一組だけのオンエア予定でした。
 でも最終的には Kellog Ricekrispie のサイト(オンラインね)で、この時の撮影の母・子映像が使われただけで、一般的にTVでのエアは、ありませんでした。(でもって、使われたのは、白人の 母子)
 このケロッグの撮影で一緒だった、娘の「ママ役」の女優さんは、「CM撮影なんて、撮影したうちの半分くらいよ、オンエアされるの」と言っていました が、そう 聞くと、なんだか仕事をゲットしても、むなしいものがあるなぁ〜と思ったものです。ギャラも、そうなると撮影日の分のみの支払いとなり,放送印税 (residual)は,出ないし・・・。
 でも実際、娘が最終まで残ったCM仕事などで、それらしいものを見ないことは良くあるので、「撮影をしても、放送されない現実」というのは、あるので しょうね。

ケロッグの撮影前、マイクを付けてもらうJ



 
 4/24,娘の事務所からではなく、私のコネクション(後の KAZ Talent Services)から、HISの オーディション、日本向け・撮影@ディズニーランドが来る。お父さん、お母さん,子供という設定のリクエストだったので、夫&娘と一緒に,私もオーディ ションを受けたのですが。。。
 田舎から出て来た家族が、ディズニーランドで大喜びと言うシーンをやらされ、受からなかった我がファミリーは、「都会的すぎたのね」と、勝手に納得 (笑)

5月 ロヨラ・メリーマウント大学で、出演し た学生映画「Sparkler」の試写会。けっこうメインな役柄だったJ
(主 役の、娘時代を演じた)は出番も多く、拍手喝采を浴びました。

6月、2日に韓国の企業CMオーディション、 夜には、カリフォルニア州立大学/ロングビーチ校の映画科大学院生の作品、ORIZURU
の試写会でした。仔細は、こちら
 たくさんの賞をゲットしている,優秀作品です。


これがDVDのパッケージ。



 


 6月の第二週には、おもちゃメーカー、Mattel のプリントもののオーディション。
 第3週には、Oscar Mayer のホットドックのCMオーディションがあり、同じ日、そのすぐあとに Target という量販店のプリントもののオーディションがあったのだけれど、こっちは、オーディション先が遠すぎて、途中まで頑張って行こうとはしたのだけれど、 オーディションの終了時間が迫っていたので、遠い場所まで行って、オ−ディションを受けられなかったら、くたびれ儲けだわ・・・と、エージェントに電話を して、「あきらめた〜。もう今日は帰宅します」と連絡。下の坊やも連れていたし、フリーウェイを乗り換えて50キロくらい離れた場所まで行って、残念でし たじゃ、報われない。翌日には、ディズニー・ストアのプリントもののオーディション。これは、オーディション場所がウチから3キロほどのスタジオで (^^) 金曜日だったので、夜はJの空手のレッスン。帯が白から黄色に上がって、彼女はご機嫌でした。
 6月22日は、Jの学校の最終日。もう小学一年生が終了するなんて、時間の経つのの早さにビックリする。
 6月の終わりには、Prudential Retirement という、老人保健のCMオーディション。コールバックが来て、仕事のスケジュールの押さえ、hold が入ったのだけれど、結局外され、仕事にはならず(>。<)

2006年 夏休み
 夏休みに入って初めて来たオーディションは、おもちゃメーカー Mattel のCM。でもこれは、組合の仕事じゃなかったため(Non-union job)、組合員のJにはオーディションが受けられず、見逃し。
 次に来たのは ウォルフス・ワーゲンのプリントもの。これも決まらず。
 夏は、学校がお休みなだけじゃなく、働いている大人たちも休暇を取ったりするため、業界全体がスローモードとなる。なので、おのずとJのオーディション も減るのだけれど、そんな時に突然、クリント・イーストウッド監督の劇場映画、Letters From Iwo Jima (硫黄島からの手紙)の中で使われる軍歌を歌うという仕事が舞い込んだ。私と主人は、てっきり、兵隊さんたちがお酒を飲んで騒いでいたり、訓練をしている BGM みたいな形で使われる歌なんだろうなぁと思っていたのですが、仔細を聞いたら、結構なクライマックスシーンというか、大切な場面で使われる事が判明。
 キャスティング・ディレクターから送られてきた歌詞は、さすがに戦時中の歌(軍歌だって!)で、7歳になったばかりのJには、かなり難しい日本語だった のですが(というか、大人の私にも、かなり困難な歌詞)、メロディをすぐに覚えてしまうJは、音の方はすぐに入ったので、しばらく練習したら、すっかり上 手に歌えるようになって、親の私でさえ、ビックリしちゃいました。この辺のお話は、私の日記の「夏の思い出 Part 2」で書いていますので、良かったらそちらで読んでやってくださいな。


イーストウッド監督とのツーショット。カメラを持って いなかったので、写メールでパシャ=よって画像が荒い(;;)
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 夏休みの終わりには、車メーカー、シボレー のCMオーディションがあり、これには「バレエの格好」で行かなくてはならないとのコト。もちろん、バレエなんて習っていないJはレオタードもチュチュも 持っていないので、急きょ、一緒の音楽教室に通っているお友達で、バレエを習っている Luna ちゃんのお家に電話をし、衣装を借りる事に。その上、Luna ちゃんのママは元バレリーナで、バレエの先生でもあるので、簡単なバレエの立ち方などを教えてもらう。そして、付け焼き刃ではあるけ れど、見た目だけは、何とか形になった「なんちゃってバレリーナJ」の出来上がり(笑)
 そんな努力が功を奏したのか、この仕事、コールバックが来ました。でも、コールバックに行ったら、来てたのは、本当に「バレエが踊れる子たちばかり」。 待合室で踊りのポーズを決めている他の子供たちを見ながら「なんちゃってバレリーナじゃ、ダメだな、こりゃ」と、望みを捨てる(笑)。だって、本当に踊ら されたら、習ってる子と、そうじゃない子の差なんて、歴然と出てしまうからね〜。

9 月
 2年生になって、初めてのオーディションは、Lucky Jeans のフィット・モデル。フィット・モデルというのは、そのブランドが作成する服の見本モデルというか、サイズ的に、これから作る服を実際に着て、体に合わせ る事をするモデル。担当スタッフさんたちは、Jの事をすごく気に入った様子だったけれど、ウエストサイズを測ったとたんに「え、そんなに細いの? 間違い じゃない?」と硬直。そう、Jは、7歳だけれど、ウエストサイズは5歳児並みの細さ。
 午後のおやつに、マックのナゲット4個+チーズバーガーを半分とか、 ペロリと食べるほどの大食らいだけど、私に似て、新陳代謝が良いのか、太らない(ちなみに、私も、体のサイズに似合わず、たくさん食べるので、人に驚かれ ます・・・)。で、この仕事は来なかったけれど、決まっていたら、Lucky Jeans の本社に通わなくちゃで、それってウチから遠いから、ダメでも、ゼンゼン気にならず〜。それに、サイズ・モデルは、写真に撮られて、世間で見てもらえるも のでも、ないしね。
 9月半ばには、ウチの坊や、G君に、Baby GAP のオーディションが来ました。来年のキャンペーン用のプリント仕事。アトピーの方も、腕や足には出ていたけれど、顔は大丈夫だったので、ハリウッドまで出 かけてきたのですが・・・・いざ写真を撮るとなったら、"NO!!!" と言いはり、手にしたトラックで遊ぶ事を続け、どうしても、「立ち位置」のマルの場所までも行かず、ポラ写真も撮らせない状態。
 カメラマンさんは、辛抱強く、もうちょっと待ってから撮ってもいいですよ、と言ってくれたけれど、ガンコ者のG、結局写真は撮れず、せっかくハリウッド まで行ったのに、オーディションを受けられず、母は泣き(;;)
 でも、よっぽど、エージェンシーに提出してあった写真を baby GAP は気に入ってくれていたのか、次の週、また同じプロジェクトで、baby GAP のオーディションに呼ばれたG。このときは、どうにかキャンディでごまかして、写真を撮ってはもらえたけれど、ぐずったし、笑顔もイマイチだったから「受 かるワケない」と思う私・・でもって、ダメ(>。<) 2度も呼んでもらえたのにね。
 Gという「普通の子」を育ててて、つくづく思いますよ。Jは、本当に、才能があったというか、聞き分けが良かったというか、小さいときから、たとえ寝起 き でも、言われた通り、立ち位置 に立ち、ニコッと、カメラを見て、笑えたんですもんね。男の子ってことで、違うのかも知れませんが、本当に、G のモデルへの道は、果てしなく遠いというか、無いかもねぇ〜と言うのが、母の本音です・・・。はぁ(ため息)。
 
 アメリカのTV界で、9月は新番組編成のシーズン。同時に、CMも一新されたり、再オンエアされたりの時期でもあります。で、今年の2月からエアされて いたJ主演の GE のCM、夏の間はエアされていませんでしたが、また9月から放送が始まり、本当に年間を通して、ものすごい額のギャラが支払われました。主人と話していた のですが、「大人が、たった一日、1本の仕事で、こんな風に稼げたら、二度と普通の仕事には、つきたくないよね」というほど・・・。

10 月〜12月
 10月は暇な月でした。G君に、ディズニーのプリントもののオー ディションが来ただけ。これは、前の baby GAP よりはましでしたが、ダメ。G君の場合、3〜4才くらいにならないと、性格的に、子供モデルは難しいだろうなぁ〜と、本当に思います。なんたって、 ガンコ者。機嫌が良ければ、カメラを向けると「チ〜ズ」とか言ってポーズを取るのですが、それ以外は、あくまで「我が道を行く」ヤツなので。
 11月になり、すぐに来たのは、またG君のオーディション。baby style のプリントもので、このオーディションも、手を焼きました。ロスのダウンタウンにある、baby style の本社でのオーディションでしたが、もうGは、連れて行くだけ、労力の無駄だって、感じてきました。
 また11月には、Jに大手電話会社、AT&T のCMオーディション、またAir Canada のCMオーディションがありました。どっちもダメ。
 そして、12月、今年最後のオーディションは、 Jの、priceline.com と言う、旅行代理店のCMでした。このCMは、TV番組、STAR TREK のキャプテン・カーク役でスターとなった、William Shattner が出演するもので、かなりメジャーなもの。父親役と、息子と娘役が必要なものだったのですが、必ずしもアジア人募集ではなく、黒人、白人と、他の人種も来 ており、一番マイナーなアジア人という事で、不利だなぁ〜と思いました。で、思った通り、ダメ。でも、このCM、2007年6月現在、まだ目にしてません から、結局エアされず、お蔵入りになったものかも知れません。

 ということで、2006年度、Jが呼ばれたオーディションの総数は、26、で実際に行けたのは、21。生後8ヶ月からモデルを初めて、年間オーディショ ン 数、最多でした。で、やった仕事は4ステージのファッションショーと、ケロッグのCM、そして映画「硫黄島からの手紙」の劇中歌を歌った事。なのでオー ディションに行ったわりには、仕事ゲット率は低く、徒労が多かった一年ですが、ま、オーディションに呼ばれるのは、写真選考を通ったという事ですし、オー ディションに行くこと自体、練習というか、次につながると思うので、本人が好きでやりたいと言っている限り、母として応援し、協力してあげたいと思ってい ます。

----終わり----

>>>>2000年・春、娘Jがモデルを初めて以来、綴ってきた「た からもの物語」 ですが、今回をもって、終了とさせていただきます。今までご愛読、ありがとうございました。<<<<<

2007年夏より、新コーナー「キャズさん ちのオーディション生活」という形で、我が家のオーディション生活の記録を綴って行きたいと思います。
これからもよろしくお願いします。


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